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分類名: 病院
写真解説:
≪一ヶ年目の研修を修了した医師は(前列左から)園田光正、上笹貫淳、久場侃士、名城嗣隆、与儀実津夫、安次嶺馨、仲松栄、新垣学、山城昌昭、大宜味綱夫、および田場幸子。レジデントを修了した医師(二列目、白衣)は左から金城進(外科)、根津八紘(産婦人科)、与那嶺毅(内科)、鎮西忠信(内科)、知念正夫(小児科)、仲尾清(外科)、平安山英達(内科)、堀川義文(外科)、および仲原英伸(小児科)。その他に写真は左から那覇病院の田端辰男院長、琉球政府厚生局の大湾朝忠医務部長、ハワイ大学顧問団のアーサー・E・マーシス契約担当官、山川厚生局長、ハワイ大学顧問団のアーサー・オーギー小児科医師、ベティー・ローソン物理療法士、ジェンセン厚生教育局長、ハワイ大学の顧問団のスドラン団長、ジョン・W・ピアーソン麻酔専門医師、チャンス―キム理学診断医師、スミコ・ヘンナ看護顧問、ジョン・E・マザース産婦人科医師、トーマス・W・シンプソン内科医師、ルイス・A・ハッチンソン内科医師、真栄城優夫、外科医師ロバート・H・ハッチンソン整形外科医師、および中部病院の識名盛敏、小児科医師と山田親佑事務院長。≫ ≪中部病院(新垣浄治院長)で9人の研修医がレジデンシー(専門医学研修)、また11人が1ヶ年目の医学研修をそれぞれ修了し、その修了式が3月28日同病院で催された。修了式にはロバート・T・ジェンスン米国民政府厚生教育局長、山川文雄琉球政府厚生局長、稲福全志沖縄医師会長等が出席した。同研修計画は米国民政府が沖縄の医師不足の緩和と医療水準の向上を計るため1965年11月にハワイ大学と契約を結んで同大学が民政府の資金援助で実施しているものである。医学研修が1967年に開始されてからこれまで32人の医師(24人は沖縄出身者、8人は日本々土出身者)が研修を受けている。中部病院における医学研修の方針は(1)同研修計画では常勤の教授陣が研修医の指導に当たる(2)研修医も実際に患者の治療に当たらせ、研修の程度と個人の能力に応じて責任を持たせる、(3)研修医には一定数の患者だけを受けもたせる。(4)独自の研案を行う時間を与えることである。中部病院は216ベットを有し、総工費2,264,194ドルで建設され、最新の医療器具が備えられている。総工費のうち1,591,110ドルは米国援助で、671,084ドルは琉球政府が負担した。同病院は14人の常勤医師、1人の歯科医師、99人の看護婦等237人の職員をかかえている。なお、ハワイ大学の顧問医師は10人である。≫
【和訳】
撮影地: 具志川
撮影日: 1970/3/28
備考:
資料コード: 0000251633
写真番号: 260CR59-0111_01
アルバム名: USCAR広報局写真資料 130 Box59-03(CR59-0101~0150)

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